踊ってみよう!フラメンコ

フラメンコは、スペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が主体となっています。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしています。さらにさかのぼると、ムーア人の影響もみられるようです。.

ムーア人

ムーア人は、北西アフリカのイスラム教教徒の呼称です。主にベルベル人を指して用いられます。ローマ時代に北西アフリカの住民をマウハリムと呼んだことに由来しています。マウハリムはフェニキア人の言葉で「西国の人」を意味しています。7世紀以降には北アフリカのイスラム化が進み、イベリア半島に定着したアラブ人やベルベル人は原住民からモロと呼ばれるようになります。次第にモロはアラブ、ベルベル、トルコを問わずイスラム教徒一般を指す呼称となり、レコンキスタ以降は再び北西アフリカの異教徒住民を指すようなりました。はちまきを巻いた『ムーア人の横顔』は、フランスのコルシカ島とイタリアのサルデーニャ島の旗になっています。コルシカ島の島旗にムーア人の横顔を採用したのは、コルシカの英雄パスカル・パオリです。

お酒の席の作法

酒宴の始まりはビールで乾杯ということが多いかと思いますが、ビールを注ぐときはラベルを上にして注ぎます。受け手はグラスは両手で持ちます。斜めにグラスを傾ける方もいますがまっすぐ持つほうがビールの泡がこぼれにくいです。乾杯の時はグラスは目上の人より少し下げます。グラスを高く上げると高圧的な印象をもたれるので注意です。ワインの場合は、ワイングラスはテーブルに置いたままにし、グラスは右手で持ち左手の指先をグラスの底に添えます。一気に飲み干すことはマナー違反とされます。日本酒の場合はお銚子は片手で持つとされていますが女性の場合は左手を添えます。盃をテーブルに置いて注ぐのは「置き注ぎ」といわれマナーに反します。
お酒が飲めなくても形式的に口をつけます。お酒を注いでもらって口をつけない事は失礼とされます。お酒を進められたらその場の雰囲気をこわさないようにお断りしましょう。
また酒宴の席には遅れないこと。遅れて到着するときは一言連絡を入れます。
もちろんの事ですが、車で来ている人や飲めない人には無理に進めることはやめましょう。
酒宴が多くなってくる季節。節度を守ってお酒を楽しみたいものです。

フラメンコギターで祝う卒寿祝い

卒寿祝いに贈りたいプレゼントとは?

卒寿祝いは90歳のお祝いです。還暦祝いのお祝いでは「赤色」がキーワードですが、卒寿(卒寿祝い)では、「紫色」がキーワードとなります。では、なぜ「紫色」なのでしょう。 実は紫色は、古くから特別な意味を持つ色と考えられてきました。たとえば、聖徳太子の時代。貴族の冠位は紫色が最上位の地位を表す色でした。僧侶でも紫の衣を身につけることができるのは最高位の僧侶に限られていたほど。その後、こうした考え方は一般にも広がり、紫は気品や風格を備えた色として尊ばれるようになっていきました。また紫色は、心と体のいやし効果がある色。先人達はそれを経験から知っていて、不安な気持ちの時には身近に紫色のものを置いていたといいます。だから、卒寿のお祝いには、長寿への敬意といたわりの心が込められた紫色をキーワードにお祝いを。もちろん、紫色にこだわらなくても、その心を大切にして卒寿のお祝いをしましょう。情熱的なフラメンコギターの演奏でお祝いするのもおすすめです。フラメンコギターで思い出に残る素敵な卒寿祝いを。

卒寿祝いの歴史と由来

昔は人の寿命が今よりずっと短かったことは、皆さんもご存じでしょう。そのため、古代中国では40歳から10年ごとに長寿を祝っていた時代もあったといいます。そうした習慣が伝わってきたのが日本の卒寿祝いの起こりです。その後、平均寿命が延びて行くとともに、77歳=喜寿からの長寿祝いが日本で独自に発生。卒寿もその一つです。ただし、その習慣が定着した時期については、実のところはっきりしていません。ただ、70歳の古希祝いが発生したのが室町時代と推定されていますから、それ以降であることは確かでしょう。

スペインで祝う還暦旅行

還暦におすすめのスペイン旅行

「還暦には赤いちゃんちゃんこ」という習慣もまだまだ残っています。ですが、さすがに長寿社会の今となってはこれらに抵抗のある方も。だからといって赤い色にこだわる気持まで忘れる必要はありません。最近では、赤色は情熱の色、積極性や行動的な心を起させる色という考えもありますので、赤いスカーフや赤いブラウス、シャツ、バッグや小物の赤など、現代に合ったかたちの赤色のプレゼントを選んでみてはいかがでしょうか。ルビーに代表される赤い貴金属や、「赤」の付く地名のところへの旅行などもおすすめですよ♪情熱の国スペインは還暦祝いにピッタリの国です。スペイン旅行で思い出に残る素敵な還暦祝いを!

なぜ還暦を祝うのでしょう?

なぜ、還暦=60歳を祝うのでしょうか。それは干支に大きな関係があります。一般的に「干支」といえば、子(ね)から始まる12種類だけを考えてしまいますが、正式な干支とは、「甲(きのえ)」から始まり、「癸(みずのと)」で一回りとなる「十干」が組み合わさった「十干十二支」を指します。一例をあげれば「丙午(ひのえうま)」。あまりうれしくない使い方をされることが多いのですが、十干十二支の言い方の中で一番知られているものでしょう。この十干と十二支それぞれを同じ年をスタート地点にして順番に当てはめていくと10と12ですから、11年目からは組み合わせが段々ずれて変わっていきます。そして60年で一巡り。これが、暦が回って戻る、すなわち「還暦」です。同時に、還暦を迎えられた方は新しい暦を刻むための出発点に立ったことになります。つまり還暦とは、60年の大きな節目を祝うだけでなく、新しい門出をも祝う誕生日でもあるということ。昔からの人々がこの習慣を大切に伝えてきたこともうなずけますね。

実は厄年の「60歳」

長寿祝いの中でも、年齢が若いだけに慣習としての誕生も早い還暦祝い。日本全国に目を向ければさまざまなお祝いのかたちがあります。「祝い」と呼ばずに「振る舞い」を付けて「還暦振る舞い」と呼ぶのも、そうした地方色豊かな長寿祝いのかたちです。しかも、この還暦振る舞いは、全国各地に散見できます。では、なぜ「祝い」ではなく、「振る舞い」なのでしょう。これは、60歳という年齢に対する考え方に理由があります。「還暦」や「本卦帰り」は暦の一回りであり、還暦の別名「華甲」は縁起の良い文字を選んだ結果の呼称ですが、実はこうした考え方とは別に、60歳を特別な年齢ととらえる習慣が古くからあるのです。それは「厄」という考え。「厄」と言えば「厄年」、男性の場合は数え年42歳、女性の場合は数え年33歳…確かに、こちらのほうがよく話題にされます。しかし、実のところ人生には数回の厄年があり、その中でも大厄とされるのが42歳と33歳というのが正解。そして、男性にとっては60歳もまた「厄年」なのです。もっとも、厄年の正しい考え方すれば数え年の60歳が厄年ならば、満年齢は59歳では…?そうですね。疑問もごもっともです。しかし、昔は長寿祝いもまた数え年で行うもの、すなわち還暦祝いもまた数え年の60歳で行っていたためにちゃんと一致するのです。そして、この「厄年」の考え方から発生したのが還暦祝いの一つのかたち、すなわち「振る舞い」というわけです。

スペインの訪れたい観光地BEST3

【第1位:ラス・ベンタス闘牛場】

ラス・ベンタス闘牛場は、スペイン、マドリードにあるスペイン国内最大級の闘牛場です。およそアリーナといっていい様相で、メキシコのモヌメンタル・デ・メヒコ闘牛場、ベネズエラのモヌメンタル・デ・バレンシア闘牛場に次いで、収容人数が23,798人という、世界第3位の規模を持っています。闘牛のシーズンは、毎年3月から10月までで、毎週日曜日と休日に行われています。5月から6月までのサン・イシドロ祭の期間中は、毎日闘牛が行われます。季節によって違いがありますが、闘牛は夕方5時から7時までの間が開始時間で、終了時間まではおよそ2時間から3時間ほどかかります。観客席は日向(sol)と日陰(sombra)、中間(sol y sombra)の3種類に分けられ、さらにアレーナ前の1階席から4階席まで価格帯が分かれています。

【第2位:ティッセン=ボルネミッサ美術館】

ティッセン=ボルネミッサ美術館はマドリッドにある美術館。プラド美術館の程近くにあります。古典絵画は主に父親のティッセン=ボルネミッサ男爵によって収集されたもので、息子のティッセン=ボルネミッサ男爵は19世紀・20世紀の作品を多く買い集めました。そのため、この美術館では8世紀に渡るヨーロッパ美術の流れを見ることが出来ます。14世紀・15世紀の重要な作品にはイタリアのドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャの作品や、ヤン・ファン・エイク、アルブレヒト・デューラー、ハンス・ホルバインといったフランドルやオランダ絵画があります。ルネッサンス期やバロック期の作品にはティツィアーノ、セバスティアーノ・デル・ピオンボ、カラヴァッジョ、ピーテル・パウル・ルーベンス、バルトロメ・エステバン・ムリーリョ、レンブラント・ファン・レイン、フランス・ハルス、ドメニコ・ギルランダイオ、ヴィットーレ・カルパッチョ等の作品があります。印象派や後期印象派の作品も多く、クロード・モネ、オーギュスト・ルノワール、エドガー・ドガ、フィンセント・ファン・ゴッホ等を所蔵しています。20世紀の作品にはパブロ・ピカソやピエト・モンドリアン、エドワード・ホッパーなどがあります。

【第3位:スペイン広場】

マドリードのスペイン広場は、同市セントロにある広場です。グラン・ビアの西、王宮の北に位置し、人気のある観光スポットとなっています。「ドンキホーテとサンチョ・パンサの像」などセルバンテスを記念した像がいくつも建てられています。

スペインの首都『マドリード』

マドリードは、スペインの首都。スペインの行政の中心地であり、イベリア半島の経済の中心地の1つです。また、マドリード州の州都でもあり、マドリード県の県都です。人口は約325万人。2011年の近郊を含む都市圏人口は541万人で、世界第57位、欧州では第5位となっています。欧州の首都の中では最も標高が高い位置にあります。スペイン中央部のメセタ地帯のマンサナーレス川沿いに広がっています。近郊にはモストレス、アルカラ・デ・エナーレス、ヘタフェなどの都市があり、マドリード首都圏を形成しています。2012年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第18位の都市と評価されました。欧州ではロンドン、パリ、ブリュッセル、ウィーンに次ぐ第5位となっています。

スペイン語では、Madridの語末の「d」はほとんど発音されず、「マドリー」となるのが通常です。また、マドリード首都圏の発音では、語末の「d」を無声の[θ]で発音するので、「マドリース」 となります。その他、「マドリーズ」と発音する人もいます。なお、スペイン語に長母音はなく、カナ表記の長音符はアクセントのある母音がやや長くなっていることを示しているにすぎません。 一方、英語等の発音から「マドリッド」ともいいます。

マドリードの歴史

マドリードの地には先史時代から人間が住んでいました。古代ローマ時代にはコンプルトゥムの司教管区に属していました。マドリードが最初に歴史の記録に残されたのは、9世紀に後ウマイヤ朝のムハンマド1世が現在の王宮の位置に、小さな宮殿の建設を命じたとき。この宮殿のそばには小さな要塞が建てられました。近くのマンサナーレス川はアラビア語で「アル・マジュリート」(水の源)と呼ばれ、そこからこの地は「マジェリト」と呼ばれるようになり、現在の「マドリード」となったそうです。1085年に要塞はトレドに向かう途上のアルフォンソ6世に征服され、モスクは教会に建て替えられました。1329年、フェルナンド4世に助言するための最初の議会がこの都市で開かれました。セファルディムやイスラム教徒もここに住み続けましたが、15世紀の終わりに追放されてしまいます。エンリケ3世の時代には、都市は大火のあとに再建され、王は城壁外のエル・パルドに住んだそうです。

カスティーリャ王国とアラゴン王国が連合したのち、16世紀にカルロス1世の元でスペイン王国としての融合が進みます。1561年にフェリペ2世が宮廷をマドリードに移します。王の公式な宣言はなかったものの、宮廷の位置が事実上の首都となったそうです。1601年から1606年の短期間、フェリペ3世が宮廷をバリャドリッドに移しましたが、スペインの黄金時代にマドリードは新大陸から流入する富によって栄えたそうです。

18世紀にフェリペ5世は、ヨーロッパの首都としてふさわしいようにマドリード王宮を含む新しい宮殿の建設を行ったのですが、マドリードが近代的な都市となったのは、カルロス3世の代でした。マドリードの歴史の中でもっとも人気のあるカルロス3世は「最良の市長であり王」と呼ばれました。カルロス4世が即位すると、マドリードは反乱を起こします。1808年、息子のフェルナンド7世に率いられたアランフエスの蜂起のあと、カルロス4世は退位し、5月にナポレオン・ボナパルトの部隊がマドリードに入城しました。5月2日、マドリード市民はフランス軍に対して反乱を起こしたが、鎮圧されまし。1814年にフェルナンド7世が王位に復帰しますが、19世紀の間は自由主義派と保守派の争いが続きました。これをカルリスタ戦争といいます。

スペイン内戦(1936年~1939年)では、マドリード市内は戦場となりました。マドリードは人民戦線政府の拠点でしたが、1936年11月、西の郊外でマドリードを奪取しようとするフランコ軍によって戦闘が繰り広げられました。マドリードは3年の間包囲されたのち降伏しました。マドリードは初めて民間人を標的とした航空爆撃を受けた都市となったのです。フランコの独裁時代の間、マドリードの南は工業化され、多くの移民が地方から流れ込みます。マドリードの南東沿いにスラムが形成されましたが、文化的・政治的な活動の舞台ともなりました。フランコの死後、フアン・カルロス1世の下で民主化が進み、マドリードはイベリア半島の経済的な中心としての地位を固めました。

太陽と情熱の国スペインの魅力

スペイン、スペイン国またはスペイン王国は、ヨーロッパ南西部のイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める立憲君主制国家です。西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接しています。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリリャ、アルボラン海のアルボラン島を領有しています。首都はマドリード。

スペインの国名の正式名称は特に定められていませんが、1978年憲法ではスペイン語で、España(エスパーニャ)、Estado Español(エスタード・エスパニョール)などが用いられています。Reino de España(レイノ・デ・エスパーニャ)も用いられることがあるようです。日本語の表記はそれぞれ、スペイン、スペイン国、スペイン王国。スペインは、国王を元首とする王国ですが、スペイン1978年憲法では、それまでの憲法では明記されていた国号は特に定められてはいません。憲法で国号が定められなかったのは、君主制は維持するものの、その位置付けは象徴的な存在に変わり、国を動かすのは国民によって選ばれた議会が中心になることを明確化するためにとられた措置であったそうです。

スペインはラテン系を中核とするスペイン人が多数を占めています。一方で統一以前の地方意識が根強く、特にカタルーニャ、バスクなどの住人はスペイン人としてのアイデンティティを否定する傾向にあり、ガリシアやカナリア諸島の住民も前二者に比べると、穏健ではありますが、民族としての意識を強く抱いており、それぞれの地方で大なり小なり独立運動があるようです。一般に「スペイン人」とされる旧カスティーリャ王国圏内の住民の間でも、イスラーム文化の浸透程度や歴史の違いなどから、アラゴン、アンダルシアの住人とその他のスペイン人とでは大きな違いがあり、それぞれの地方で、風俗、文化、習慣が大きく異なっています。近年は、世界屈指の移民受け入れ大国となっていて、不況が深刻化した現在では大きな社会問題となっています。外国人人口は全人口の11%にあたる522万人にも上ります。

クラシックギター

クラシックギターとは、ガット、ナイロン、フロロカーボンなどの弦が張られた、ギターのことです。スパニッシュ・ギターとも呼ばれています。またフラメンコに使用されるクラシック・ギターは、激しい演奏からボディトップを保護するためのゴルペ板を装着するなどフラメンコ演奏に最適化された仕様となっており、クラシック・ギターとは区別してフラメンコギターと呼ばれています。

ギターの構造

標準的には、6本の弦と19のフレットを持ち、一般的には、6弦側からE2・A2・D3・G3・B3・E4に調弦され、音域はE2~B5となります。ただし、弦の本数やフレットの数などは多種多様で、低音弦を1本足し、最低音をB1とする7弦ギター、あるいは更に弦の本数を増やした10弦ギター、フレットの数を20として、最高音をC6にしたものなどがあります。

ヘッドストック

一般的には片側3つの糸巻きを持つスロテッド・ヘッドが採用されます。ただしソリッド・ボディのエレクトリック・ガット・ギターの中には片側6つの糸巻きのヘッドストックも存在しています。クラシックギターにおいて、特に高級機種になるとこの金属製の糸巻きにも精巧な芸術的細工が施されます。

ネック

基本的にはマホガニーなどの木材を用います。エレクトリック・ギターやスティール弦のアコースティック・ギターとは異なり、殆どの場合トラスロッドは入っていません。アコースティックギターはテンションの強いブロンズ弦を用いるのに対し、クラシックギターはテンションが弱いナイロン弦を使用するため、ネック反りそのものが少ないという理由もあります。指板は黒檀や紫檀を用いるのが一般的です。フレット数は他のギターに比べると少なく、19フレットまでのものが大半です。カッタウェイと呼ばれるトップボディ上部右側がえぐれたタイプは、それ以上のフレットを装備したタイプもあります。 ネック幅は、アコースティック、エレキギターに比べても格段と広く、ギターの中でも最も幅が広くなっています。これは、クラシックギターそのものが伴奏ではなく、主にソロ向きに特化されているためです。

ボディ

特殊なものを除くと図のような箱構造のボディです。素材は木材で、ボディトップはスプルースやレッド・シダー、サイドとバックは紫檀が使用されます。高級機種になるとサイド・・バックにはワシントン条約で規制がかかっているハカランダが重宝されています。ストラップを装着するためのエンド・ピンなどは無いのが一般的。ポピュラー音楽の演奏家向けの製品では、ソリッド・ボディのものも存在しています。トップ板の特徴として、スプルースが白色に近い色をシダーは赤みがかった褐色を呈しています。また、スプルースは硬質でエッジの効いた、シダーが甘美な音色の傾向をもっています。上級機種である程、トップ・バック・サイドとも一枚板を使用する傾向があるようです。

電装品

基本的にはピックアップやプリアンプなどを一切装備しません。ただし最初からポピュラー音楽演奏用に設計されたモデルの中には、ブリッジ部分に圧電式ピックアップを入れ、プリアンプを装備したものも存在します。

アコースティック・ギター

アコースティックギターとは、撥弦楽器であるギターのうち、より古典的な、楽器から直接音声を得るものを指します。ピックアップを備え電気信号を出力するエレクトリックギターに対して区別するために呼ばれ、多くの場合フォークギターのことを指しています。標準で6本の弦をもち、指で爪弾くフィンガーピッキング、あるいはピックではじくピック奏法で演奏されます。弦の振動および音波は楽器本体および本体内の空洞の共鳴を経て奏者や聴客の耳へ届きます。

信号変換や電気増幅を伴わないことから「生ギター」と呼ばれることもあります。「アコギ」という略称で呼ばれることも多いようです。1980年代後半から「アンプラグド(unplugged)」という言葉も使われだしました。「クラシックギター」(古くはガット弦、現在一般的にはナイロン弦を張り、元々はクラシックの楽曲を、指弾きで演奏するためのギター。チューニングは一緒ですが、後者に比べてボディーがやや小さく、当然ながら、ピックガードはない)も含みますが、クラシックでは原則、電子楽器を用いないのでこのジャンル内ではアコースティックという言葉を楽器名に用いることはりません。ポピュラー音楽では「フォークギター」(スチール弦を張り、もともとは、フォークソングや、トラッド、カントリーなどを演奏するのに用いる)とほぼ同義で用いられます。より一般には、クラシックギターとフォークギターの区別がつかない人も多く、両者の総称として扱われています。

アコースティックギターには、バリトンギターやテナーギターといった特殊な音域をもつものや、12弦ギターを始めとする複弦ギターなどのバリエーションがあります。かつては、クラシックやジャズ、ブルースにも使われていて、19世紀末には、スチール弦を張ったものが製品化されていました。しかしながら、音を電気増幅するエレキギターにとって代わられてきたのです。電気増幅楽器が主流となって以降も、アコースティック楽器の音質やそれらを特徴付けたサウンドが回帰的な意味で求められ、各国で幾度かのブームが到来しました。近年の日本においては各地でのストリートミュージシャンの台頭が、音楽価値観の多様化からすればブームと呼んでもよい状態といえるでしょう。

生ギターの音声を増幅する手段として、かつては、実際の音をマイクで集音し電気増幅していました。次に、エンドピン(ストラップを留めるためにボディーに付いているピン)部分や、サウンドホールに専用ピックアップを取り付け、楽器音を増幅していました。次の段階で、サウンドホールをゴムなどで完全に塞ぎ、内部にピックアップを取り付けた形態のものも、特殊ではあるが登場しています。

フラメンコギターとは?

フラメンコギターは、ナイロン弦のアコースティックギターの一種で、フラメンコの演奏に適した仕様のものをいいます。明るくて、立ち上がりが鋭く、歯切れの良い音色を特徴です。クラシックギターに比べ、薄く軽い材が使われているため、側板(サイド)の幅が狭く重量が軽い他、ネックの幅も狭めで、弦高も比較的低めに設定されています。激しい奏法から表面を保護するため、ピックガードの一種のゴルペ板が広い範囲に貼られています。奏法としては、弦を激しくかき鳴らすコード奏法(ラスゲアード)や表板を指先で叩くゴルペ奏法がよく用いられます。

ラスゲアード

ラスゲアードは、ギターの奏法のひとつです。左手で和音を押さえ、右手の指の爪側で上から下に掻き鳴らすように弾きます。フラメンコギターで多用される奏法のためフラメンコ奏法とも呼ばれています。

ピックガード

ピックガードはギターやマンドリン等の弦楽器において、ボディ上、弦の下に配された合成樹脂等の薄板です。主目的は楽器の塗装をピッキングによる傷から保護すること。英語ではスクラッチプレートとも呼ばれ、フラメンコギターでは「ゴルペ板」「ゴルペアドル」と呼ばれています。またフィンガーレストと呼ばれることもあります。実用目的以外に、楽器の修飾のために使用されることもあります。またしばしばボディカラーと対照的な色が用いられます(濃色のボディーに白いピックガード、淡色のギターに黒いピックガード等)。合成樹脂の他、アクリル樹脂、ガラス、合板、織物、金属や真珠貝/模造真珠等が使用され、高価なギターではエキゾティック・ウッド、毛皮、皮革、宝石、貴金属、真珠やアワビ真珠といった贅沢な材料も用いられます。中でも合板はかなり一般的で、その枚数は「プライ」で表されます。しばしば異なる色の板が重ねられ、例えば白3プライなら「白・黒・白」の3枚板であることが多いようです。また「1プライ」と表記されていれば、それは単板のことです。ピックガードはサインを書く一般的な場所でもあります。サインされたピックガードは取り外して他のギターに取り付けることも容易です。